悪癖に別れを

 今年は、自らの感性を思い出す1年にしたい。自らのやるべきことに取り組む1年にしたい。TLを離れても、人とのご縁は続くはずだ。己がしっかりとした人間であれば。

 2018年6月からTLに入り、スマホ浸りになってしまっていた。どんなときもスマホを、特にTwitterを開いてしまう。何の意味も無いのに何も考えずにひたすら新たな情報を求める餓鬼のようになってしまっていた。スマホTwitterは中毒症状を引き起こすのかもしれない。
 この生活を、この精神を、改めねばならぬ。人として。今のままでは駄目な人間になってしまう。
 奴隷労働をさせられることから解放され、やりたいことはあった。それは決してTwitterで人と馴れ合うことではなかった。新たな情報に飛びついて遊び回ることではなかった。解放されたらやりたかったこと、それは、やりたかった職業に就くために専心鍛練に取り組むこと。家の中をきちんと治め、きちんとした生活を送ること。自らに誇りを持つこと。貧乏や自己犠牲や自己否定から習うことができなかった絵や舞踊や武道や茶道や馬術のお稽古を始めること。そして、大学で目一杯勉強すること。そのようなやりたいことが沢山あったのではないか。年齢や性別から諦めてしまった輝かしい若き日々の夢を今追うのか。それは夢ではない。叶わなくて良いものではない。今度こそ、その未来を生きることだ。もう二度と奴隷にはならぬことだ。人を愛し、己を厳しく鍛えることだ。それこそが、自らがずっと生きていると感じられる生き方だった。もう二度と、今生で二度と再び奴隷になることはない。固く誓う。させようと笑顔で近付いてくる人間に頭を下げない。自立して生きて行くのだ。これからは。ここからは。失った若さが悔しくて涙が流れても、生きる。生きるしかない。私は私の道を生きるのだ。親きょうだいを支えられるように強くなり、自らの子孫を残し家族を築けるように、強くなるのだ。進捗が遅かろうとも二度と諦めぬ。全力を尽くして叶わぬのならそれもまた人生だろうが、まずは全力を尽くすことだ。二度と諦めぬ。二度と奴隷にはならぬ。自らの志をしかと胸に抱き、誰に何と呼ばれようとも志を貫いて生きるのだ。これが私の生き方である。
 ならば、やはり馴れ合いの日々を去らねばならぬ。友を大切にすることと馴れ合いとは異なるものだ。Twitterに別れを告げられるか。まずはTLを追うのをやめ、自分に必要な情報を考え、きちんと調べてデータベースを構築する。TLには頼らない。感想は、ブログに書く。「いいね」を求めない。体験をつまびらかにしない。心の中で温める。その情熱を大切にして日々を生きる。自らの内面から創作を行う。人から評価されるための、「いいね」稼ぎや話題提供の為の創作は行わない。一つ一つをしっかり考えて心を込めて作る。その為にも鍛練をする。日常生活もしっかり行う。そうして精神と肉体と頭脳を健全にして行く。そこから、新たな芽が息吹くであろうか。
 てきるか、できないか、今この時点では決まっていない。TLを離れる。やってみよう。いや、やるのだ。本当に大切なことに目を向けるのだ。流されるな。己の志を思い出せ。享楽に流されることなく、自らの足下をしっかりと踏みしめて生きて行きたいと、そして、今後は己の時間を安売りするのではなく自分の専門的な知識と技術をしっかりと習得し磨き、自分の就きたい職業に就き働いて行きたいと、新年最初の夕方に思う。