反省から始めるしかない

最近はずっと二次創作について悩んでいた。
皆のように上手く出来ないし、だから楽しく交流も出来ない。疎外感と無力感を覚える。そういう時に私は努力よりも逃げに走ってしまう。夜更かししたり、暴飲暴食したり、散財したり。散々な時間の使い方をしていた。最低だ。自分が嫌いになる。

8月半ばから始まったドラマを最近は好んで観ている。毎週テレビでドラマを観ることなど、本当に久しぶりだ。
先週の木曜日の夜に第11集「生死をともに」と第12集「孤勇」が放映された。この二話は、ずっと抱えて来た私の心の苦しみを解して前に進む精神的な姿勢を少し取り戻させてくれたように思う。しかし、もう過度の交流と散財にのめり込むことはない。大切なことは、作品から得た感動をきちんと自分の中で咀嚼して、創作物として表現して昇華し、現実に己を省み過ちを認め、前へと進むことなのだ。それでこそ、そういう人間になって初めて、漸く人として他者と誠実に向き合い付き合えるのだ。

『山河令』を独りで観て感動し、検索せず自分なりに咀嚼して味わって考えていると、昔を思い出した。
人と交流するよりも、じっくり原作を読み込んで向き合って考えて作品を作り、それを通して漸く人と交流する。
そういう同人活動の仕方の方が、私には向いているのかもしれない。
表現し人に届けたい。

表現し人に届けたい。
だったら、作らねばいけない。それは嫌なことじゃない。本来私がやりたかったこと、好きだったことの筈だ。
今でも本当は好きなのだろう。
では、それを阻害しているものは何なのか。
収入が無いことだ。いや、職が無いことだ。収入だけでなく職が欲しい。職に就きたい。ちゃんと。

就職に失敗して、非正規の仕事をして、正規との扱いの差に苦しんで、人を憎んで己を卑下して退職し、その後何処にも行くことをしなかった。3年も経ってしまった。
何かせねばという焦りと不労無収入の不安から、道を誤り、成人以来ずっと拒んで来た親の金に甘え、キャンペーンで分不相応な贅沢に目が眩み、親の財産を無為に使い、己を穢した。この間に見聞きしたものと、自分に染み付いた悪しき習慣は、消えない染みとなった。

映画に嵌まってからのことだ。作品が悪いわけではない。受け取る自分の頭の問題だ。
自分の問題点は、正しい知識と技術と訓練の不足だ。生きるための正しい訓練が圧倒的に不足している。これは小手先の処置で何度誤魔化して軌道修正しても駄目なのだ。